以下のブログの記事が話題になっているっぽいのですが、僕が知らなかったことや疑問点が多いので、感想を述べてみる。
『M-1グランプリ』とは何を目的に、何を審査しているのか? – 昨日の風はどんなのだっけ?
経緯や目的は、全く問題ないが
彼らが『M-1グランプリ』で証明したことは、漫才とは個々のボケが重要なのではなく、全体の流れで見せる芸である。ということです。
えっと、それは漫才だけでなく、コントでもピン芸でも同じでは?
そもそも、ネタにおいてボケが重要と考えるのは、初心者的な考え方だと思います。(インディーズレベルでよく見るベタに間違った漫才は、ボケたらツッコんでという流れの漫才です。)
そして、「全体の流れで見せる芸」というのも、多分そう見えるのでしょうけども、そうではなく、ちゃんとした軸やテーマ、システムで笑わせていることが高ポイントに繋がるのであって、全体の流れは関係ないと思います(ある意味流れでもあるのですが)。
もっと言うと、一本の軸で笑いを作っている方が評価されて、ボケ・ツッコミをしているだけのものは評価が低くなります。(一般の人にはちょっとわかりづらかったり、勘違いされそうだけども、これも詳しくいつか述べます。)
そして2003年以降は、そういう漫才しか、『M-1グランプリ』で優勝していないのを、「俺たちのM-1は革新的な漫才を評価する大会じゃなかったの?」と騒いでる方々には見えていない。
そもそも「革新的な漫才というのは何?」という疑問が僕にはあるんですけどね、単純に自分が好きだったけど、評価されなかったり、世間が面白いと認めていないことを、単に革新的と言って、評価しなかった人を皮肉っているだけなんじゃないですか? という疑問は僕はいつも残っています。
革新的かどうかの基準って結構簡単だと僕は思っています。単純に「今までにあったかどうか?」だと思います。ただ一般の人は沢山ネタを見ているわけではないので、それが革新的かどうか、新しいかどうかがわからないだけかと。
という意味で、笑い飯さんがWボケを作ったと勘違いしている(シャンプーハットさんが先)というような主張には同意です。(M-1の番組でさえ、そういうナレーションをしていたような。)
ただ、基本的には審査員にとって、今までにない漫才の評価は高いはずだと思います。
例えば、ブラマヨさんは松本さん、高須さんが言うように今までにない、自分たちで作り出した笑いという意味で高評価なはずです。
フットボールアワーはM-1を前にして、「漫才とは会話(の演技)で成立させる4分間のショートストーリー」である、という定義を掲げて漫才作りに挑んで
これは、フットさんがそういう定義を掲げて漫才作りをしたと言ったというような引用元があるのでしょうか。
というか、ショートストーリーと言っても、漫才というより、漫才コントなんですけど、そのような定義を掲げて漫才を作ったのでしょうか。僕としてはかなり違和感があります。
客を選ぶ「並列的な漫才」ではM-1は勝てない
ネタを全体の流れではなく、設定がお題となって、お題に対して一つずつボケを出していくような、個々のボケやフレーズで勝負するネタは、お笑い業界では「並列的なネタ」という、やや否定的なニュアンスを込めた言い方で呼ばれています。
「並列的なネタ」という言葉は初めて聞いたのですが、大阪あたりでは使われるのでしょうか? 僕の方では「羅列ネタ」という言葉がよく使われていました。
プロの間では、羅列ネタが評価が低いのは、その通りと思います。
ただ、
この「並列的なネタ」というのは、劇場や普通のネタ番組などで披露する分には良いけれど、賞レースなどでは評価されないから、やるべきではないと長く言われ続けています。
こんなこと誰がどこで言っているのですかねぇ。
羅列ネタが評価が低いのは、ネタを作るのが楽だからで、劇場でもネタ番組でもM-1でも関係なく、評価は低いと思うのですけども。
これは一つの理由に、先ほどから書いているように、お笑いを見慣れていない人には、伝わりにくいということがあります。
これも初めて聞きました。
羅列ネタってエンタや若手でかなり使われる方法ですけど、伝わりにくいのですかねぇ。
ストーリーのネタがいいのか?
残念ながらこれは違うと思います。
これ以降、このフットボールアワーの提示した「漫才とは会話(の演技)で成立させるショートストーリー」という漫才が、その後のM-1における漫才の基本になっていきます。それはどうしてなのか? ということです。
『M-1グランプリ』は吉本興業と、大阪の朝日放送が主催者で、発起人は大ブームとなった漫才ブームの牽引者の一人で、現在テレビタレントとして売れっ子の島田紳助です。この三者が考える「日本一の漫才師」という定義は何でしょうか? 花月とテレビの漫才番組の両方で大トリがとれる漫才師こそが、「日本一の漫才師」と考えるのは、自然なことではないでしょうか?
その島田紳助さんが、ストーリーはいけないと言っていたりします。
ちなみにM-1の大会委員長である島田紳助さんは、以下のDVDのdisc1「M-1の戦い方」というチャプターでM-1での勝ち方を語っています。
#M-1の審査を語る人は見ておかなくてはいけないと思います。
(ちなみに、TSUTAYAとかレンタルでは貸していません。芸人目指す人は、確実に見るべきです。お笑い好きでなくてもアマゾンの評価のコメント通り、ビジネスマンでも学ぶことが多いのでお薦めです。)
紳助さんは
「短いネタの作り方な、ストーリーにしてはあかんねん。」
「納得したものになんねん。物語に。流れはきれいやねん。おもろないねん。」
と言った後にネタの作り方を述べていきます。
まぁ、1回戦の2分のネタの作り方の話をしているのですけど、4分でも2分はそのままでそれを延ばしてという感じで話をしています。
#ちなみにコントでもストーリー志向より、プロット志向の方がいいと別役実さんの本には書いてあったかと
別役実のコント教室―不条理な笑いへのレッスン
なのでストーリーじゃなくて、笑いを取るためのシステムが審査としては重要だと僕は思います。そのあたりは、ちょっとさらっと説明できないので、また漫才のネタの作り方というエントリーなどで書いていきたいとは思います。
笑いの審査方法、基準に関してはもっと沢山書くことがありますが、以下のエントリーも参考になると思います。
素人に笑いの採点をさせてはいけない理由
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2010-1-10 (日曜日) 22:00
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『M-1グランプリ』とは何を目的に、何を審査しているのか? – 昨日の風はどんなのだっけ? この記事は「M-1を大きくしたのは、笑い飯、麒麟、千鳥」としかいわれないことへの反発もあ…
2010-1-24 (日曜日) 00:21
納得です。
2010-2-22 (月曜日) 03:54
私わ島田紳助さんのフワンだからテレビに出ていたら嬉しい司会だつて上手いし頑張れ