1月 15
「面白い芸人が売れる」と勘違いしていませんか?
ネットやテレビでもよく見かける話です。プロの芸人ですら、面白いと売れると勘違いしている人が多いように思います。
「面白くなっても売れるわけじゃない」
僕も売れるために面白くなろうと、勘違いしていた時期がありました。
これを知らずに面白くなろうとしていたら、売れないか、売れるのが遅くなると思っていていいと思います。
逆に言えば、「面白くない芸人でも売れる」ということです。
なぜ、面白くなっても売れないのか? 面白くなくても売れるのか?
続きは、以下より。
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9月 27
今、たまたまNHKのパフォーという番組を見ていて、そこでますだおかだの増田さんが出ていました。そこで、漫才のネタの作り方の話をしていたシーンがあり、非常に参考になったのでご紹介します。
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1月 20
ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんから学ぶもてるための3つの条件は、3つあるそうです。
そして、ロンブー敦さんがイベントで語ったとされるくどきのテクニックも追加しました。(安室奈美恵さんがらみで 2010/01/07に追記)
3つの条件は、以下からどうぞ。
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1月 05
ツッコミ役の技術レベル
ツッコミ役の技術レベルを10段階にわけてみました。
これは、自分のツッコミのレベルがどの段階にあるのか? そして、次にどのようなことができるようになればいいのか? をより明確に理解するために非常に有効です。(特に、弊社の場合ツッコミの教育において)
一般の人にとって、「ツッコミができる人」=「ボケにつっこめる人」くらいの感覚なことが多いですが、ツッコミには非常に色々な技術がありますし、プロのツッコミ役は非常に高度なツッコミができます。
技術的にレベルの高いツッコミ役というのは、プロの中だけでしか評価されないことが多いです。世間的に評価されない状況だと思うので、プロ視点でのツッコミのレベルを書いてみました。大体のプロは、このような感じでツッコミ役のレベルを見ていると思います。
以下、レベル0~10までのツッコミ役の技術レベルです。
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11月 22
どうも、最後の浅草フランス座芸人です。
今、テレビを見ていたら、誰でもピカソでツービート(ビートたけし、ビートきよし)さん、今田さんなどが、浅草めぐりをしているのを見て、色々忘れないうちに書いておこうと、メモがわりに僕のいた頃の浅草フランス座の話をささっと書きます。笑いの技術の話ではないので、興味ない人には、全く面白くない話になると思います。
#なんか、浅草を歩いているたけしさんがかっこよかったし、なんか浅草芸人ってかっこいいって思った。
浅草フランス座ってなに?
最近の芸人でもなかなか知らない浅草フランス座ですが、簡単に言うと、渥美清さん、コント55号さん、井上ひさしさん、ツービートさんなどを輩出したストリップ劇場です。ストリップの幕間にコントをするコメディアンがいました。
もっと知りたい人は、以下のwikipediaをどうぞ。
フランス座 – Wikipedia
僕と浅草フランス座
僕が浅草フランス座にコメディアン見習いとして入って、約1年後に浅草フランス座はなくなって、東洋館になりました。その時の一番したっぱが僕なので、多分僕が一番最後の浅草フランス座芸人になると思います。
昔、フランス座のことをページ上に公開していたことがあって誰も見てないだろうと思っていたら、とある芸人さんにまた公開して欲しいと言われたので、昔のページのバックアップを探して、いつかアップします。
覚えていることを以下箇条書き。
僕の師匠佐山淳とたけしさんの師匠である深見さんは、とある女の人を喫茶店でお金でやりとりした。って話を聞いたことがある。
僕の時代に屋上のごっちゃごちゃの荷物置き場?みたいなところから、深見さんの写真が出てきた。
第二松倉荘(深見さん、たけしさんが住んでいたところ)は、2000年の時点もあった。中は見られなかったが。今もあると思われる。
照明の裏あたりの壁に「照明部 赤江 祐一」というような落書きがあった。ちなみに、赤江 祐一さんは、玉袋筋太郎さんのこと。
伝説のエレベーターは、僕の時代には出世エレベーターと呼ばれていたことはない。(そんな記憶なし)
伝説のエレベーターは、たけしさんが同じと言っていたけど、たけしさんのいた頃と違うって聞いていたけどなぁ。場所とかは同じなはずだけど、改装はしているはずだけど。
浅草フランス座が閉館する前には、改装するから一時的に出てくれ、後で呼び戻すからって話だった。が、まぁ閉鎖なんだなとみんな気づいていたので、そこそこに清掃して出て行った。
当時、シアター上野に出張コントをしに行っていたことも何回かあった。1日4回くらいコントをやっていたような。
フランス座でのコントは、「大根切り」というネタばっかり。たまに「便利屋」をやる。シアター上野の時だけ、オリジナルなものをやろうとしていた。
色々な事情(仲間のコメディアンだったり、ネタの問題だったり)があって、他のコメディアンは、コントをやりたくないっていう感じだった。一人の先輩は絶対っていう位コントをするのを拒否。理由は不明。
コントは、コメディアン志望の4-5人のうちの空いている2,3人が適度に組んでコントをやるという、今の日本じゃどこでもやっていないようなスタイル。(仕事が優先なので)
コントの時間は、時間調整的なものなので、時間調整に必要な時間でコントをする。
コントが始まるとトイレタイム。女の裸を見に来ているんだもん。そこで如何に笑わせるか?という技術。
入った当時は、僕を入れて5人のコメディアン見習いがいた。後に一人入ってきたが2週間後位にいきなり消えた。あとに、元コメディアン見習いの照明係の人が入ってきた。
仕事は、照明、衣装拾い、もぎり。だったかな? 朝に掃除。
「コメディアン見習い募集 芸は身をたすく 6ヶ月給与なし」の通り、東洋興行からの給与はリアルになし。ただ、師匠の奥さんの喫茶店で働いたり、中日というシステムでなんとか食っていた。中日がどういうシステムだったかは、もう忘れちゃってる。踊り子さん達からもらえるお小遣いのようなものだったという微かな記憶あり。
師匠の奥さんは、浅草駒太夫という芸名で、浅草でベルという喫茶店をしていて、僕は結構そこで働いていた。(今、全然検索に引っかからない。)
コメディアン見習いは、大体浅草フランス座内のどこかに住んでいた。休憩スペースの上、ちょっとした隙間、僕は元トイレを改装したところに初めに先輩と二人で寝ていた。一人だけ、第一松倉荘に住んでいた。
今の芸人では想像できないくらい、はっきり言って半端なく厳しかった。上下関係、金銭的、体力的、もっともきつかったのは精神的にだったように思う。あそこにいた人じゃないとわからないという位。
休みは基本的になしで、年に1,2日位。朝8時位~夜21時とか23時位まで仕事。最近、太陽の光を見てないなと言った感じ。
毎日プライベートも含め、ほぼ一緒だから濃すぎる。
コメディアン見習いなのにお笑いが全くできないというつらさ。
先輩はパチンコ屋で働けと待たされてすんなり入れなかったり、速攻で帰れと言われたりと入るのも難しい人もいたらしい。
フランス座のねぇさん達は、僕らみたいな者にも礼儀正しく、すごくやさしかった。僕から見ると普通に見えたけど、他のコメディアンにとってはそうでもないらしい。
フランス座に住んでいる夫婦の方もいた。
階段で下の浅草演芸場に行けるのだが、行き来はなかった。一回来た人がいた。
下の浅草演芸場に見に行けるチャンスはなかった。というか、昼に外に歩くという余裕は全くなかった。というか、ほとんど軟禁状態だった。なので、隣の欽ちゃん劇場も一回も見にいけないうちに閉鎖されてしまった。三平ストアとROXの地下のスーパーに買い物してきてって時は、よく外に出られた。
演芸部はなかった。
テレビの取材は何回か来た。ザ・ノンフィクション、山本監督、関根勤さん、PVの撮影とか。
僕は、フランス座に入ってから2週間位で舞台に立たせてもらえた。
師匠は、相当破天荒。いきなりハワイにいるとか。ハワイに連れて行くとか。プレハブ建てるとか。
蛇骨湯で師匠の背中を流す。
数ヶ月後につっこむという技。
師匠のツッコミ「お前ら戦争か!」
ファイヤーリンボーダンスで、ファイヤー。真っ白なお客さん。
ねぇさん、カレー作るのはいいですけど、立ち上がるとカレーのにおいが。
夜中にクラブ。
見てから入るか決めろ。で、見てドン引き。かぶりつきとテープの応援。
新人は、まず階段清掃。
ヒモという生き方のすごさ。支配人。
木馬亭。
お客さんを注意するという仕事が一番嫌だった。
さらっと書こうと思ったら、色々出てきた。
肩書きが、IT企業社長とは思えない位の泥臭い時代があったことを久々に思い出した。こういう経験ができる芸人はもう存在しないから、貴重といえば貴重な経験をしたということにしておこう。
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